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1979年、YMOと岐路

Posted on 2014年5月31日

何故か、この2週間、ずっと聞くことの無かった一連の曲をYoutubeに見いだして、端から見ていった。YMO、私の今を決めた時代がそこにあった。博士課程の学生だった私は、その年の秋にヒューストンで開かれたIEEE CSの国際会議への論文投稿への格闘で春をすごした。先が見えてきた。その頃、久しぶりに矢野顕子から電話がかかってきた。「シンセサイザのマニピュレータが必要。代役をやってくれませんか」中野サンプラザのコンサートだと記憶している。MH氏の代わりということだ、やれるとは思う。そして彼女は困っている。オーケーとのどまででかかった。けれども、練習やリハーサル、もし引き受けたら、当然全部でるべきだ、しかし、論文の最終段階、そっちも手を抜くわけにはいかない。。。引き受ければどっちも中途半端になりそう。。。

あちこちのコンサートをとったビデオ、それらがかなりYoutubeにあがっている。メンバの思い出話のビデオなどもある。レコード会社が公開に踏み切ったと思われるものも多数。細野、高橋、坂本の三氏を中心にいろいろな人が加わった演奏がそこにある。私の趣味としては、矢野、渡辺の2人がはいったのが一番しっくりとくる。メンバはヘッドフォンをつけている。キッコカッコと無機的な音が流れるのを皆聞いて、それで合わせていたという。納得。

それって、バスクロックによる同期だ。たくさんの独立した機能をバス結合して動かすコンピュータハードウェアの基本的な仕組みだ。安定したリズムの上にたんたんと演奏者がその力量をしっかりと乗せていく。たいしたもんだ。

私はそのバスクロックに直接加わることをあきらめた。そしてヒューストンに行き、別のクロックに乗った。

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