秋葉原で図面とそれに対応できるはずのベークのボード、そして部品を買い、パネルも買い、そして、鍵盤モジュール(黒鍵4つのと黒鍵3つのモジュールがある、それを3組と端っこがあるモジュールで三オクターブ半)をバラで購入、鍵盤は100オームだったかの抵抗をならべてかませて組み立ててできあがり。。。などなど。回路としては、VCOやVCFあるいはDecayする波形の生成回路とか、おもしろかったのを思い出す。ラジ関のミッドナイトJazzReportのDJ氏と話し合いをしたり、いろいろと斬新な音作りにこのころ興味があった。70年代のこと。けれども80年代に入って、ローランドの小さなシンセで同じことができるし、温度に対する安定性もいいし、技術の進歩はすごいと感心した。CMU800とかいったかのミキサーを使って、パソコンでプログラムして使えるのができるようになり、それでフォーカスグループを組織して、多少まともなものを作っていった。たぶん85年くらいには聞いてもらえるような程度になり、施設課がまともな機材で録音してくれ、クリスマス時期に流れる保留音に採用された。年間で他の期間でも使えるのも採用された。学生とのグループワークでの作品なのでそれがおもしろかった。現在でも、青山学院の代表電話にかけ、内線を呼び出すと、その間に聞こえるのは、私と学生たちでのグループが作成した作品です。どういう呼び出しかたをするかでこの保留音が使われるかは違いがあるようだ。でも、今朝も出勤途上で電話をしたら、担当課に回される間に、昔の私たちの作品を聞いた。それで思い出した。2020.3.10FBコメント