マサチューセッツ工科大学人工知能研究所(当時)所長のパトリックウィンストン教授は、Artificial Intelligence という本を出版していた。彼は米国人工知能学会の会長も歴任し、大きな役割を自覚していた。第2版までの邦訳は存在するが、1992年に、それまでのものを大幅に拡充した第3版を出版した、第3版は第2版に比べて倍以上の量で約700ページ以上のものだった、が、邦訳は出版されなかった。手元に彼からの1992年3月24日付けのレターを保存しているが、それには、1,2週間以内に印刷が終わり配布がはじまること、それが終わったら、早速次の第4版の準備にかかると書かれていた。けれども、第4版は成立しなかった。1980年代にすでに実用化の可能性を考えた研究成果が出ていたニューラルネットおよびパーセプトロンの記載も第3版には含まれていた。第3版が日本の一般の大多数の人たちが触れるようにはならなかった。
それにはいろいろな原因が考えられる。少なくとも、当時の出版業界の事情として、述語論理とPrologが入っていない本は売れないと判断されたことがあったように推察する。第五世代コンピュータを国をあげて押そうとしていたタイミングと合っていたと思う。
一方、この第3版は、大別して、1)知識表現とそれらについての単位操作的手法、2)学習と認識、つまり応用の仕方、3)画像と自然言語、の3部構成をしていた。この枠組みは現在でも有用な枠組みだと思っている。時代の進化の中で、ニューラルネットを三層だけでなく多層化する道を見いだし、それによって開花したこと、音声認識の展開もすばらしかったこと、画像処理の延長でさまざまな応用分野の課題が挑戦されたこと、RNNの案出によりストリーム処理に新しい次元が与えられたこと、等々、当然のしかし大変な研究者の努力による進歩がそこにある。
もう一度、このArtificial Intelligenceの構成に戻って、原点とそこでの応用、そしてその成功例・限界について講義する形で、この数年の該当科目の構成をしてみている。原点はシンプルであるが、その「何故」という部分もなかなか難しい課題だ。シンギュラリティの議論もそこからはじめる必要があると思っている。また、できあがったパッケージのうらんかなのAPI利用だけでは、何をしようとして、何ができれば成果なのかもわかりにくいだろう。まだまだ道は整備される必要がある。私の最後の仕事になるかもしれない。