2014年6月10日のFBに次を書いた。
『うーむ、知ってる限りでは日本の小学校で子供にスピーチをさせるときには、本人も先生も、身近なことでおこったこと、感じたことなどを、ということで納得 する。たとえば、土日にどこへいった、おもしろかった、とか、昨日の晩ご飯には何々がでた、おいしかったとか。アメリカ育ちの我が家の子供は、そういうこ とは肯定されていないらしく、何かに対する意見を言うこと以外頭にない。たとえば、何かを観察したらこういう発見があったとか、この本を読んだらこういう 意見をもったとか、最近のニュースは私はこう思うとか、パブリックスピーチ入門だ。で、何を言うか頭をかかえる。したがって、大きくなるとできることの能 力にも自然に差が出る、じゃないかな。』
そして、次を追加した。
『こ れで思い出した。昔5年か6年の時に、新聞を読んで、一番のニュースについて発表せよという宿題があった。私は、5年くらいには毎朝新聞を全ページながめ る習慣はあったので、1面のトップ記事について書いた。何人かはうしろの方のページにある東京モーターショー開催のニュースを書いた。こんどの土日に行っ てみたいというコメントをつけて。先生は、そっちの方がいいって言った。当然1面の記事についての私の発表は大人から見ればおかしなものだったかもしれな い。納得はいかなかった。親にその話をした。返事は「そんなこともあるよ」。それで納得した。』
加えて言えば、新しい、まだどんなことがあるかわからない、どうやっていいかわからない、そういう最初のチャンスというのは緊張する、そしてそれが原点になる。英語でちゃんとした発表をしたのは、1979年HoustonでのIEEE CSの国際会議だとおもう。けれども、どんどんさかのぼっていくと、60年代後半中学の時の英語のスピーチコンテスト、講堂でみんなの前でスピーチした。覚えているものを全部はき出すのが精一杯。その前になると、小学校では、クリスマスになると毎年英語のクリスマスソングを覚えて、各クラスで前にでて歌った。6年生はホワイトクリスマス。低学年は短いやつ。ジングルベルとか。楽しかったなぁ。