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ベトナムとは:その5 片側3-2-2

Posted on 2012年4月30日

早いもので、今日で2か月が終わりとなる。さまざまなことをこれからまとめないといけないが、今一番印象に残っていることを書いておく。それは「片側3-2-2」である。片側というのは、道路の片側である。全部で7車線。中央分離帯があって、さらに、3-2-2の間に分離帯がある。ところどころ行き来ができるように切れてはいるが。分離帯は緑豊かに木が植えられている。これだけあるとさすがにふつうの時間はがらがらで、バイクも安心。車もバイクには交差点以外は神経を使わなくて済む。ので、通常のよちよち歩きでなく、ちゃんとトップギアでふつうにアクセルをふかして走れる。

双方向全部で14車線ある。その両側に近代的な街が広がっている。職住近接。市の中心部へは、地域でのコミュニティバスが、一回60円(15000ドン)で乗れる。朝から晩まで一時間おきに走っている。休みはない。この町には大きな日本人学校、台湾人学校、韓国人学校がある。またインターナショナルスクールも複数。ケーブルテレビも、NHKも日本語の放送を採用している。すなわち日本人向けがある。おそらくケーブル会社の契約時の選択の違いなんだろう。フーミーフン。民間の開発になるホーチミン7区の街である。

ハノイでもこうした街が多数計画されている。しかし、どうも違う、あるいはまだできていない。シプチャ。これは町というより、ゲートの中のへだたれた地域。一般の庶民は居ない。西に市街地が発展しつつある。まだ道半ば。しかし、片側3-2-2はあとからはできない。町の設計ってじゅうようなんだ、と認識。

ホーチミンのタンソニャットのそばにあるe-townに行った。企業がやってるIT・ハイテクの団地。そのまえの道路は片側6車線ある。しかし、ただ幅が広いだけ。朝、晩はめっちゃクチャ車とバイクがいりみだれて、ぐしゃぐしゃに走る。ピーピー、ぷーぷー。騒音を気にしだすと頭痛くなる。

ハノイで住んだ街。昔懐かしいような街。出発の日、管理人が仕事をほっぽりだして、玄関までやってきてあいさつしてくれた。握手した。ありがとっていうわけで。一階のスペースを使ってる学生の団体、今日で最後だっていったら、皆でエールを送ってくれた。

ある意味でホーチミンのフーミーフンはインフレにも仕事にも勝ち組あるいはそれにくっついている町でもある。そして、近代的になっている。あまり、政府がどうのこうのとかハノイはどうかなどとはいわない。ハノイで住んだ街。その辺の商店だけで生活を済ませれば、一日100円から200円くらいで私でも暮らせる。食費に関して。官庁の関係の人だとわかると態度を変える庶民。自分たちとは違う世界、しかしいつもくっついてそばにいる世界。人々は毎日多少でも余計にお金をかせぐことにあくせくしている気がする。5円の差に一喜一憂する。ホーチミンにも似た格差はないわけではない。またゆっくりかんがえてみよう。

 

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