オーストラリアから夢を抱いてアメリカ西海岸に渡った二人の青年がいた。ふたりともLispに興味をもち、それでひとはたあげようという大志を持つ。80年代のこと。ひとりはUCBへ、もうひとりはStanfordへ。どちらもちょっぴりそのオーストラリアなまりに気後れを感じていた。Stanfordへ行った彼は講師をし、Common Lisp を教える。もうひとりは、Franz Incへ行き、技術の大黒柱の一人となる。やがてStanfordの彼は、Lucidの仕事を手伝うようになる。コンパイラ開発の仕事。Stanfordの彼は、やがてサクセスストーリのひとつともいえる形をとってMITへ移る。Subsumption architectureをひっさげてLispベースの記述言語により、昆虫型のロボットの仕組みを開発し、それを世に送り出す。さまざまなロボットの仕組みに興味を持つ学生がその元に集まる。90年代前半は週に一度といった形で西海岸へ渡り、Lucidのコンパイラ開発を手伝う。これもおきまりのストーリで、あるアジアの国の女性と結婚し、そして破局、Alimonyの支払いが彼をまっていた。お金も必要。自分にはお金にかえられる腕がある。isroboticsの誕生。これがiRobot社になる。学生2名だかが興味を示し、専従する。ルンバ、そして福島原発で活躍することで有名になったロボットの生みの親である。民生用のルンバ掃除機と本来軍用のロボット、この両者のiRobot内での比率は半々くらいらしい。iRobotはサマービルに作ったといっていた。今は、もうもっといいところへどこにでも移れるだろう。実用に使えるロボット、技術的には日本でも作れるはずである。しかし、ひとつの技術を世に出そうというには、多様な志をもったひとたちの夢の共有が必要だ。そう、ビジネスの成功要因はそのビジネスそのものにはない、のだ。ルンバはアメリカ的なものだ。掃除機としての性能データとしての力量はたいしたことはない。しかし生活空間としてそのような機械を必要とする人は確かに居る。総合的な設定としてルンバの機能は一定の調和を持っている。福島原発の処理にロボットを使う、それはちょっと考えればだれでも考えることだろう。しかし、それに充分使えると、信頼して使えると、そういう機械は残念ながら日本のメーカにはなかったのではないか?MITには冷静なしかし熱い気持ちをもって自分を活かそうという人たちが集まってきていた。そして、教授はそのカナメとなる。
ロドニーブルックス。彼の名である。MIT人工知能研究所AI Labの所長もつとめた教授。そして、CSAILというAI LabとLCSが合流した研究所の統合にも役割を果たす。彼の本の翻訳を私は出版したこともある。知人・友人のひとりである。去年、Pat Winstonが彼はやめたよ、といっていた。今、どうしているだろうか。