ようやくカンヅメになった会議も終わり、昨日は3時すぎから時間ができた。なにをしようか?無意識に歩こうと思った。ホテルからあるいて1時間程度の距離と思われるレブロンの町にショッピングセンタがあることを聞いておいたので、海岸にそった道を水だけはわすれないようにして歩き始めた。南半球の夏の日差しはそれほど強い分けではないが、温度計を見れば、やはり31度になっている。
歩きながらまず考えたこと、なぜ私は歩いているんだろう?ショッピングセンタに行くということが目的であれば、タクシーに乗った方がよっぽど合理的である。健康増進、それもあるだろう。でも、歩きながら見えてくる景色はまた違うものがある。そこにいる人たちの息遣いが伝わってくる、いろいろな考えも浮かんでくる。また、死に向かって毎日タイマのカウントダウンをしているというべき人間の歩みのなかで、もっともぜいたくなのは、ゆっくりと時間を使うことであろう。歩くというのはこれらを一度にやっていることになる。最初にしばし足をとめたのは、ビーチバレーのフィールドで、手をつかわないバレーボールをやっているひとたちの動きにだ。頭で、胸で、そして足でボールをうまくコントロールしている。なかなかなものだ。しばらく見とれてしまった。この海岸はずっと先にはイパネマの海岸へ砂浜が一直線につながっている。きれいなものだ。不思議な形をした岩がいくつも陸にも海にもある。長女をそだてたころに茅ヶ崎の海岸のそばに住んでいた。烏帽子岩をみながら、乳母車を押し、そして論文の構想を練っていた。そんな生活がなつかしい。ここには似た景色がある。リオデジャネイロでの一コマである。