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トップの機動力と総合学園としての力量

Posted on 2010年10月9日

私立の教育機関の運営形態はさまざまである。特に、幼稚園から大学院まで、とか大きな規模の学校になるとその運営形態そのものが学校の特色に大きく関係するように思う。文部科学省的には、「理」「事」「長」の3字がつく人がその学校の責任者として学校を代表することになる。また、大学長が他の部門、たとえば高等学校などとどういう位置関係にあるか、といったことがある。

まず、暇があって、慶應と早稲田をみてみた。慶應は塾長、早稲田が総長がそのトップである。いずれも、大学長と理事長を兼ねている。つまりその人にすべての責任と権限が集中している。他の私学はこのような形でないところが多い。青山学院は、院長と理事長は人格として別になっている。また、大学長は別に居る。幼稚園長からはじまる各部の長は大学長と並列である。次に各学校のホームページをみてみると、常務理事あるいは常任理事に関しての扱いの違いが見える。これらの方々が本部機能を担っているが、その担当分野が明記されている学校とされていない学校がある。企業でいえば、執行役員制の採用と似た方式をとっていると理解できる学校がある一方、おそらく従来からの取締役的な位置に居るという学校と両者があるように感じる。

この構造の違いを理解することは重要だろう。いろいろな学校関連の協議会等に、その学校の代表として出てくる人の実際の肩書きはさまざまである。その学校のその会に対する思い入れの強さがわかったりもする。かって文部科学省が言っていたような記憶があるが、確かにその学校の執行部の構造について、もっと民間企業での進展の歴史を取り入れた方がいいかもしれない。その学校の文化を現わすと同時に、力量と機動力を表すものともなるからだ。

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