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ジョニーアップルシード

Posted on 2009年11月9日

Johnny Appleseed。その名は、さまざまな逸話、物語の中でアメリカの子供たちの間で知られている。必ず聞かされる話になっている。リンゴの木の育て方を教えるべく、アメリカ中を実際にあちこちに行き、リンゴ栽培を広めた。そういえば、昔、北の方へドライブして、リンゴ園に行って、リンゴ狩りをした思い出がある。ボストンから2時間くらいだったろうか、もうニューハンプシャー州といっていい地域だった。いろいろな種類のリンゴが区分けされて植えられていた。

Johnny Appleseedの本名や略歴を調べてみたことがある。というのは、東南アジアのあちこちにOSSやITの集中研修などをしに行ったので、その話をアメリカの友人としていたら、「ジョニーアップルシードのようだね」といわれたことがあるからだ。いくつかのホームページを見ていって、以下のような要旨にまとめてみた。
『本名はJohn Chapman。1774年9月26日生、1847年3月18日没。Church of the New Jerusalemの宣教師。オハイオ、インディアナ、イリノイを中心とする広い地域で、りんごの木の植樹を広めた。アメリカ開拓期のレジェンド、ヒーローであり、今日でも広く、その物語は語り伝えられている。
John Chapmanは、Nathaniel and Elizabeth Chapmanの第二子として、マサチューセッツ州レオミンスターで農家に生まれた。母は、肺結核を病んでいて、第三子のNathaniel Jr.を1776年6月26日に生んだあとほどなくして没した。幼な子のNathaniel Jrも同じく亡くなった。それで、Johnと姉は親戚によって育てられた。Nathanielは、1780年にLucyと再婚した。彼女も再婚で、10人の子供があった。

1792年に18歳になったJohn Chapmanは、11歳になる異父弟をつれて西へ行った。目的地はSusquehannaの本部である。1800年頃にはオハイオに居た記録がある。オハイオ内の88箇所を訪れ、りんごの植樹の指導をした。あちこちとその後まわった。没年・墓地などには論議があったが、インディアナ州Port Wayneでの記録が確からしく、墓を確認したとある。

1975年以来、その地のJohnny Appleseed Parkで、9月中旬にはJohnny Appleseed Festivalが開催されている。』

なかなか大変な意思を持ち、そして波乱の人生の人だったようだ。

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