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ソフトデニムのような1ドル札と補助通貨

Posted on 2009年2月21日

多少沈静化したが、日銀発行の通貨に対して、政府通貨を発行して景気対策にするという話が、どこかの国でまじめに話題になっていた。経済の専門家ではないが、政府通貨というのは、基本は補助通貨の話で、ようするにコイン(硬貨)の話だったはずだ。これが紙幣も刷って、流通させる(という暴挙)ができるのかどうかよくわからないが、私の知っている常識では、補助通貨はコインのことと思っていて、中央銀行発行の通貨と政府発行のコインというような通貨が異なるソースから出されているのは、要するに、自前で中央銀行発行の紙幣を印刷して流通させる力のなくなった国が、たとえば米ドルをそのまま自国内で流通させ、コインだけは政府が発行するという話に相場は決まっていた。

実際に行ったことのある国ではエクアドルを思いだす。たしか5回ほど計40日か50日くらい行ったが、首都の中でもものごい、小銭をもらおうと群がる子供たち、一方で高級なショッピングビルの中で、携帯電話をぶらさげて着飾って歩く子供たちの対比は今でも強く覚えている。通貨として使っていた米ドルは、しわしわというより、これでよく擦り切れていないと感心するくらい、紙とは思えないくらい、ソフトなタッチがするほど使い込まれている。色も当然黒っぽい。グチゃグチャになっているから、厚みさえ感じる。まるで薄いソフトデニムの生地をさわっているような感覚に通じるものがある。こんな町では、ピン札などを出そうものなら、見たことがないと、まるでオモチャの紙幣を見るかのようにじろじろと見られ、あげくの果てに、別の紙幣をくれと、やんわりと使用を拒否される。そこで、手でもんで、クシャクシャにしてから使ったのを思い出す。5ドル札は大金で、要するに1ドルを何枚ということで処理していた。10ドル札などは手も震えるようなもので1万円札より高価な感覚があった。そうなると政府通貨であるコインのありがたみは出る。裏づけがあるとは思えないコインをガッチャンガッチャンと鋳造して流通させても、所詮対外的な決裁は米ドルだけでおこなうのだからよその国には問題が起きない。

最近の自国通貨の破綻した国としてはジンバブエのことを思う。近しい人間がトップに居たアフリカ大学はジンバブエにある。ここも外国通貨をそのまま国内で市民が使用してよいという段階に来たと報じられている。超インフレはこれからこの国にどんな事態をもたらすのか、気持ちとして心配するがそれ以上にはどうしようもない。

そんなことを考えると、私のような単純な理解では、補助通貨を日本政府が作って流通させる、しかも紙幣までというのは、日本の経済の破綻後のシナリオということ以外に考えようがない。あるいは、米ドルを標準の通貨としても採用させようというのだろうか?

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