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そのときゲートはあいていた

Posted on 2009年1月21日

あるとき、地下鉄に乗ろうとしたら、トークンを入れて入っていくゲートの横の、荷物が多い場合などに特別に開けるゲートが開いていた。あっ、みんなただで入れるじゃないか。そしてよれよれのダンボールに、今ちょっと出ている、ここから入ってくれ、というメッセージが書いてある。こんなことが記憶している範囲でも3度あった。ボストンの生活の一こまである。

私は正直なところ、もうかった、と思ってそのゲートから入った。たしか当時は75セントくらいだったおおもう、それをセーブできた。うれしかった。2回目、よく見るとそのすぐ横のトークンを買う窓口で待ってる人がいる!それも一人ではない。お金を手にもって待っている。3人だったように思う。このひとたちは何を待っているのだろう?

そう、係員が食事から帰ってくる、所用からかえってくるのを待っている。トークンを買ってちゃんと入るために。なんということだ。友達に聞いた。どうしてそういう人がいるんだろう?答。自分が社会に対する責任を果たしたいからだ。

また別の日、これはもう何回も見た。地下鉄終点の駅の改札の外、子供たちがクッキーを売っている。2ドルだったと思う。たくさんの人が買っていく。食べる食べないは別だ、自分たちでかせぐ、一生懸命作る、その教育に協力しているのさ。

有料道路の料金所、Thank you, Sir!と友達は係員に声をかける。まじめな真剣な顔で。えぇ!っと思った。こういうひとたちが仕事をしてくれるから自分たちは将来の話、未来の夢を語っていられる、ありがたいだろ。

無情な都市とも思われる、ボストンの暖かさの一面である。日本人コミュニティとはとうとうほとんどかかわらなかった。つらいこともあった。けれども懸命に生きているさまざまな人たちと出会った。今は楽しい思い出である。そして、それらは多くの人も知っている話だと漠然と考えていた。私が改めて言わなくても。でも、そうではないことも最近わかった。時々、昔話も書く必要があるのかもしれない。アメリカのこと、一つの事実を伝えるために。

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