米国時間2011年10月24日に、Lispの祖、ジョンマッカーシーJohn McCarthyが死去した。84歳。35年前にLisp1.5のマニュアルと出あい、めちゃくちゃおもしろい言語、たちまち魅せられ、その処理系を作ってみたくなった。これが人工知能、そして言語処理系を作ること、あるいはコンピュータを賢くさせようという方向との出会いである。したがって、私のその後の歩みに決定的な影響を与えた。その年、縁があって、彼が日本に来た時、箱根へのドライブの運転手をした。大涌谷、芦ノ湖の遊覧船などなどを思い出す。家内と三人でとんかつを食べにいった。処理系を作ってみたことから、ちゃんと勉強しようと思い、情報処理学会で、当時できた記号処理研究委員会に加えてもらった。後藤英一先生のはからいである。そして学会の研究会がスタートした。
ドライブ中に、当時でたばかりの8080を使った専用マシンのアイデアを話した。まじめに聞いてくれた。良しやろうと言う気になった。メモリがたくさんいるよ、といってくれた。それの接続を設計した。指導教官の間野浩太郎先生に話をして、開発の資金・道具を調達していただき、ハードからシステムまですべて手作りした。新しいアイデアもいくつか考え、それを組み込んだ。数式処理システムREDUCE2をそのうえで動かした。学会の論文になった。博士論文になった。
箱根のドライブインで、車の名前はなんていうのか、と聞かれて、スプリンターといった。そしたら、先生は、箸にナイフで切れ込みをいれ、ささくれ状にした。これもsplinterだといってにやりと笑った。
ジョンマッカーシー先生、安らかにお休みください